【歴史】かつては関西有数、4,000本が咲き誇る絶景の地 今から約50年前、地元の住民らでつくる「追分梅林組合」が丘陵地を切り開いて造ったのが、この追分梅林の始まりです。約10ヘクタールという広大な敷地に、最盛期には約4,000本もの見事な梅の木が花を咲かせていました。その規模は奈良市内では2番目を誇り、シーズンになると多くの観光客が四方を梅に囲まれるすり鉢状の絶景を楽しみに訪れる、関西有数の人気スポットだったのです。

【再生へのきっかけ】突然の土壌悪化による「ほぼ全滅」の危機
しかし2010年頃、予期せぬ事態が梅林を襲います。
周辺の造成工事などの影響により土壌環境が急速に悪化し、なんと大半の梅の木が枯死(こし)してしまったのです。かつて4,000本あった梅の木は、わずか70本ほどにまで激減。絶景だった梅林は一瞬にしてその姿を失い、2011年3月、梅林は一度「閉園」という苦渋の決断を迫られることになりました。
誰もが「もう復活は難しいのではないか」と諦めかけそうになる中、「この場所を終わらせてはいけない」と立ち上がった人々がいました。

【現在の運営と取り組み】福祉×農業×若者で繋ぐ、新しいコミュニティの形
2014年頃から農地改良と植樹による再生への挑戦が始まりました。
この復活劇の中心的な役割を担っているのが、「一般社団法人 SPSラボ 若年認知症サポートセンター きずなや」さんです。

きずなやさんは、若年性認知症の人たちが社会と繋がり、主体的に働ける場所(農福連携のプロジェクト)として追分梅林の再生を位置づけ、近畿大学農学部などとも協力しながら地道に苗木を植え、管理を続けてきました。
さらに近年では、この再生活動に関わってきた近畿大学OBをはじめとする若者グループが、梅林の高台に奈良盆地を一望できる絶景のオートキャンプ場「OIWAKE PARK(追分パーク)」をオープン。
単に昔の姿に戻すだけでなく、農福連携、若者によるアウトドア拠点の運営、六次産業化、これらが一体となった、持続可能な新しい地域再生のモデルとして、往時を超える「4,500本の梅林」を目指して今も一歩ずつ歩みを進めています。